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西郡勲さん

- 西郡勲
- 1993年美術科卒業。1975年生まれ。文化学院高等部美術科在学中にCGを駆使したVJを始める。卒業後はフリーの映像作家としての活動を開始。‘95年、MTV Station-IDコンテストでグランプリを獲得し、それをきっかけにMTV JAPAN入社。2004年、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門 優秀賞受賞。2006年、エジンバラ国際映画祭/広島国際アニメーションフェスティバル作品招待など。最近は、開国博Y150の地球環境映像、紅白歌合戦ビジョン映像などの仕事でも映像監督として活躍している。
文化学院の3年間は、映像作家としての基礎を固めた3年間。
中学校から高校へ進学するとき、自分にはグラフィックデザイナーになりたいという夢があったので、デザインに特化した学校へ進もうと決めていました。数ある学校の中から文化学院を選んだのは、緑に囲まれたキャンパスが海外の学校みたいで、こんな雰囲気のいい校舎で学んでみたいと思ったからです。もちろん、充実した施設や授業内容にも「ここなら間違いない!」という確信めいたものを感じました。
高等課程の3年間で、実にいろんなことを教えてもらいましたが、中でもいちばん印象深いのは『本当の自由』について学ぶことができた点です。それが具体的にどんなことなのか、うまく言葉では説明できないのですが、3年間で身についた「自由に考え、自由に行動する」という基本は今もしっかり自分の中にあり、西郡勲なりの生き方や表現にも大いに影響を与えていると思います。
少しカッコいい言い方をさせてもらえば、誰かに引っ張ってもらわないと空を飛べないグライダーから、自らの力で大空へ舞い上がるエンジン付きの飛行機になれた。そのきっかけを文化学院が与えてくれたという感じですね。自由という燃料で動くエンジンを搭載することができたから、ギャラがケーキという厳しい下積み時代も、笑って乗り越えられたのだと思います。その意味で、文化学院の3年間は、とてつもなく貴重な3年間だったと言わざるを得ません。
最後に、これから映像作家をめざす後輩たちに、何か僕から言ってあげられるとしたら、あまりに月並みですが「努力」以外にないと思います。好きなことだから努力できる。その努力が大きければ大きいほど、目標を達成したときの喜びも大きくなる。充実した人生って、結局はこの繰り返しなんだと思いますよ。
中島たい子さん

- 中島たい子
- 1988年高等課程美術科卒業。1990年建築専門課程建築本科卒業。文化学院卒業後に編入学した多摩美術大学在学中から構成作家として活躍し、同大卒業後は文化学院で教鞭をとっていた山田洋次氏のアシスタントを経験。1996年『チキチキバンバン』で第1回日本テレビシナリオ登竜門・大賞を受賞、その後小説を書き始め、1997年『宇宙のペン』で第23回城戸賞準入選、2004年『漢方小説』で第28回すばる文学賞を受賞、芥川龍之介賞候補にも選ばれる。
歴史に支えられた本当の自由をぜひ体感してください。
私が文化学院に通ったのは、もう20年以上も前になります。当時の高等課程美術科に入学しました。絵を描くことが小さい頃から好きだったのですが、絵で食べていくのは難しいかな、と(笑)。それに、自分の世界を突き詰めるよりも、もっと人と関わりたいと思って、専門課程では建築科へ進みました。
文化学院の授業は、生徒自身が感じることや作品を味わうことを大切にしてくれるんです。詩や小説を題材にした授業でも同じ。そこが他の学校の授業と違うところだと思います。先生に「今日、横尾忠則さんの公開ペインティングがあるんだ」と言ったら、「ぜひ見た方がいい」と熱心に薦めてくれたこともあります。学校の授業だけが勉強ではない、というスタンスなんですよね。
文化学院は、好きなこと、やりたいことがハッキリしている人のための学校というイメージが強いかもしれません。でも、何が好きなのか、何がしたいのかわからないという人も多いでしょう。でも、その気持ちのなかには「何かを好きになったら、ずっとそれをやらなきゃいけないんじゃないか」とか「そこまで好きじゃないかも」とかいう思いがあるのでは?失敗してもいいから、もっと気楽に、とにかくやってみるのもいいんじゃないかと思います。私も興味の対象が二転三転していますし、建築科の時の友達も、建築士になっている人は少ないんですよ。長続きしなくても、勉強したことはけっしてムダにならないし、必ずどこかで役に立ちます。
今は他の学校も自由になりましたが、文化学院は自由の歴史が違います。「ここは何が違うのか」と問いかけながらこの学校にいると、他にはないものが絶対見つかる。他とは違う勉強が必ずできますよ。
ムライタケシ・清志兄弟

- ムライタケシ(左)
- 1991年 高等課程 美術科卒業
1995年 専門課程 美術科卒業
イラストレーター。自身のキャラクタ−がサンリオから商品化されているイラストレーターとして活躍中。
ホームページ
- 村井清志(右)
- 1993年 高等課程 英語科卒業
1996年 専門課程 文学科英文コース卒業
報道カメラマン。在京キー局の報道カメラマンとして国内・海外のニュース現場を忙しく飛び回っている。
多感な時期に、本当の「自由」を教えてもらった。
その重要性を今さらながらに感じています。
私たち兄弟は、2人とも高等課程から文化学院に入り、専攻は違いますがそのまま専門課程へも進学。それぞれに6年の学生生活を経て今、兄の私はイラストレーターとして、弟はTV局の報道カメラマンとして活躍しています。
この学校を選んだきっかけは、美大出身の両親が昔から文化学院にあこがれていたから…というものですが、確かにこの学校には、型にはまらない自由な校風、一人ひとりの感性を大切にしてくれる先生、各々の世界観を持った友だちとの出会いなど、他の学校では得られない貴重な体験が多かったように思いますね。
「自由といっても無責任な自由の尊重という感じではなく、個々の自立を促すための自由という感じで、自由であることの厳しさも同時に教わったような気がします。その結果、大概のことには動じない精神的タフさが身につき、それが今の仕事の原動力にもなっていると思います。報道カメラマンは災害やテロなどの現場にいち早く飛び込んでいく仕事、何より精神的な強さが求められますからね」(弟・清志さん)
私の場合も、学院を卒業してからイギリスに遊学したり、5~6年のサラリーマン生活を送ったあと30歳目前でイラストレーターとして独立したのですが、学生時代からあこがれていた仕事に対する一種の執念。それを持ち続けることができたという点で、文化学院の存在は大きかったと思います。ちょっと大げさかもしれませんが「自分を生きることの素晴らしさ」を教えてもらった気がしますね。
15歳から21歳までの、いちばん多感で難しいとされる6年間。一人ひとりの感性を自由に羽ばたかせてくれる環境で学んだことは、とても意味のあることだったと、いま改めて感謝しています。



