クリエイティブ・カフェ vol.2
福澤郁文「21世紀のアジア。デザインの新たな領域──海外協力活動レポート」レビュー

グローバル・イッシューにどう立ち向かうか──企画者のノートから

長沼行太郎

2009年2月のシンポジウム「21世紀、クリエイティブの挑戦」では「アメリカ合衆国」のクリエイティブ・クラスに注目し、4月初回のクリエイティブ・カフェでは「北欧」のデザイン、続く5月第2回のカフェでは「アジア」のデザインに目を向けてみた。

シンポジウムでの柏木博さんの基調講演「デザインの新たなパラダイム」のなかに、次のような発言があった。
「産業先進国の95%のデザイナー達は世界中の10%の豊かなお客のためにデザインしている。残り90%の人のためのデザインが必要ではないか」。

これを受けて、バングラデシュなどへの海外協力NGO活動をやってこられたグラフィック・デザイナーで、本学院総合デザインコース講師の福澤郁文さんに、ゲストスピーカーをお願いした。アジアの人々の目から見たデザイン、ということで引き受けてくれることになった。

福澤さんは、1972年、NPO法人「シャプラニール=市民による海外協力の会」を立ち上げ、以後活動を続けている。シャプラニールはバングラデシュへ2名、ネパールへ1名の日本人駐在員を派遣し、ストリートチルドレン、働く子どもたち、寡婦、老人、障害者らへの支援活動を行なっている。
現地での活動は、シャプラニールの公式サイトによれば、「当事者自身の生活向上への主体的な参加」を基本におき、「住民の依存心を生むことのないよう」、注意をはらっているという。この団体の活動は中学・高校の英語・社会科の教科書にも紹介され、吉川英治文化賞、外務大臣特別表彰、毎日国際文化賞などを受賞している。

ちなみに2009年4月から、インターネットの「Social Bridge」というTVサイトに、「シャプラニール創立メンバーの一人『福澤郁文』」という長編インタビューがアップロードされているので、福澤さんのシャプラニールとのかかわりは、そこでくわしく聞くことができる。

ワークショップ

第2回カフェは4、5人ずつテーブルに分かれ、ワークショップのかたちで行なわれた。
はじめのあいさつで、「新宿のフセインと呼ばれております。フセインが米軍に捕らえられて出てきたときの毎日新聞の写真がぼくにそっくり、ぼく自身もびっくりした。それから新宿のフセインと名告るようになりました」と自己紹介して会場の笑いをとった。

最初のワークは「ビジュアル・フォトコミュニケーション」。
日本人は海外旅行はするが、現地の人々の生活のことを知らない。どうしたら知ることができるか。
伏せた写真を素材に、問答を繰り返しながら、どこの何を撮した写真かを当てるワーク。次に、おもて返しされた写真を見ながら話しあい、そこに「問題」を見つけていくワーク。
バングラデシュ(学校に行けない子どもたち、雨期と乾期、幼児の死亡と母子手帳)、フィリピン(廃車のうえで成人雑誌を見る子どもたち)、ポリネシア(島と島との友好の儀礼に使う石)、トルコ(イスラム教への偏見)など、いま世界でおきているさまざまな問題、グローバル・イッシューに気づかせるためにJICAが子どもたちのために作った写真教材だという。

ワーク2。
世界をとりまくグローバル・イッシューについて書き出し、グループでまとめ、発表するワーク。
子どもの人権、HIV、貧困、健康、環境、情報(格差・操作)、汚染された食品、食糧不足、人口(爆発・少子化・高齢化)、病気の広がり方が速い、レアメタル、マネー・金融、宗教対立、コミュニティの崩壊、少数民族、南北格差、コミュニケーション……などが出た。

次に、各テーブルで、一見関係ないと思われるイッシューをふたつ挙げて、その関係性をディスカッションするワーク。「少子化と情報化」「南北格差と児童労働」「少数民族と食品」などの組み合わせが挙がり、関連をうまく説明できるテーブル、なかなか関連を見つけられないというテーブルもあった。

まとめ──グローバル・イッシュー、NPO・NGOの役割、デザインの役割

ワークショップのあと、福澤さんはまとめにはいった。その内容は多岐・多レベルにわたるものなので、企画者のほうで3つの観点から再構成して、「福澤語録」にしてみた。

1 グローバル・イッシュー:「南の国」の「取り残された人々」の現状を私たちはあまりに知らない

このワークショップで挙げられた問題は、国連が「ミレニアムの開発目標」(2000~2015年)にしたものと重なっているが、2001年の9.11でこれらの問題への取り組みがよどんでしまい、達成されていない。1日1ドル以下で生活している南アジアの人々、飢餓と栄養不良、学校に行けないサハラ以南のアフリカの子どもたち、こうしたデータについて、政府もメディアも学校教育も、現状を伝えることをしていない。これらの問題を訴えているのは、NGO、NPOである。
豚インフルエンザには騒ぐが、何千人何万人もの子どもたちが命を落としていることを伝えないという、報道における情報のアンバランスについても考える必要がある。

貧困と格差の問題について。
世界の最富裕層が人口の5分の1、アメリカ人も日本人もここにはいる。この人たちが世界の総所得の82.7パーセントを占めている。他の5分の4の人口が貧困層である。

アジア、アフリカ、ラテンアメリカが、かつては植民地として、現代では市場として位置づけられ、そのことが戦争や経済的侵略を引き起こす、という力と格差の構造はいまも変わっていないと思う。日本の経済発展もめざましかったが、結果としてみれば、それは収奪の構造だった。
この格差社会の構造をどうやったら変えることができるか、50年後をイメージして皆さんに考えていただきたい。

2 NPO・NGOの役割について:公共圏をつくりあげること

なぜNPO・NGOが盛んになってきたか。日本のNPO法人の数はいま、4万を超えているが、国際的な活動をするNGOは400から450くらい。年間の活動資金を合わせても350億円くらいしか動いていない。中堅商社の10分の1か、それよりももっと小さい。専従のスタッフはすべて集めても2000人くらい。その活動は知られるようになってきたが、いまのNPO・NGOの位置づけと規模のままではだめである。

NPO・NGOをどう位置づけるか。
最近、日本でも、公共哲学の分野で「公、私、公共の三元論」という考え方が出てきている(例えば、 稲垣久和氏ら公共哲学を推進する流れ)。ドイツの哲学者ハバーマスの理論を軸にして展開してきたものだ。
日本の場合には、国家(公)と国民(私)の二元しかない。ドイツなどヨーロッパ、アメリカの場合には、国家と国民のあいだに、PVO(プライベート・ヴォランタリーズ・オーガニゼーション)やNGOなど、市民層が確立している。日本やアジアは国家意識が強すぎたために、市民=パブリックの意識が育たなかった。

「行革」だというが、国の予算の80兆円から90兆円のうち、実は、その半分近くが人件費だと言われている。そのことをどうしたらいいのか、多様なNGO・NPOの力を行政のなかにきちんと位置づけ、市民の自立的な活動を地域のなかで育てていかないかぎり、日本は立ちゆかなくなる。

NGOやNPOは、困っている人、かわいそうな人たちに、ヴォランタリズムで奉仕する心優しき人々、ということではない。
昔、結(ゆい)とか「入会地」など共同の場があったが、未来にも、そのような、同志をあつめ親密圏をつくっていくこと、国家・企業と私(家庭・地域)とのあいだに公共圏をつくりあげていくこと、が課題だ。

3 デザインの役割

こうした現実をどうとらえ、どうしたらよいか。
デザイナーとしてもこのことを考えるが、デザインをとりまく状況は、残念ながらよくない。必要ない欲望を拡大再生産することに寄与している。
デザインの仕事は企業からの受注であり、大学のデザイン教育も企業からの受注を前提にして成り立っている。このことを変えない限り、貧困も環境破壊もなくならない。

教材づくり。
コンビニ弁当は日に9回運ばれてくる。シャケ、エビ、マグロ、レンコン、ニンジン、サトイモ、シイタケ、クロゴマ、これら弁当の食材は世界中から、地球2周半、それくらいの輸送距離を経て届けられる。飛行機は自動車の何百倍も炭酸ガスをまき散らしている。弁当は大量のゴミになる。「地産地消」の動きはあるがなかなか進んでいない。
こうした現実をふまえ、私たちは、「コンビニ弁当から日本の食を考える」という教材をつくることもやっている。

こうしたワークショップをひらきながら、私はデザイナーとしてやってきたが、デザイン教育を変えないとだめだ。クリエイターたちが、独立精神と創造性を生かし、自由に知恵を出しあえば力になる。
21世紀の新しいデザインの教科書をつくることが必要だと思う。

蛇足のひとこと

このワークショップのなかでも、一見関係なさそうに見えるイッシューのあいだに関連を見つけること──このワークからは特に示唆をうけた。
蛍光灯が取り替えられない年齢になったとき、地域には「町の電気屋」がなくなっている。安売りのスーパーを利用しているあいだに、地域社会には親密圏が消えていた。男たちが企業戦士として産業社会に奉仕し、やがて定年を迎え地域社会に帰ろうとしても迎えてくれる場がなくなっている。

開発・援助の向こう側には収奪の構造が、そしてこちら側でも、輸出入に依存する経済成長の果てに社会崩壊が進んでいた、なんていう関連が見えてきた。
福澤さん、どうもありがとう!

「21世紀のアジア。デザインの新たな領域──海外協力活動レポート」の様子
「21世紀のアジア。デザインの新たな領域──海外協力活動レポート」の様子
「21世紀のアジア。デザインの新たな領域──海外協力活動レポート」の様子
「21世紀のアジア。デザインの新たな領域──海外協力活動レポート」の様子

2009年5月15日

長沼行太郎
(ながぬま・こうたろう)
評論家。文化学院クリエイティブ・メディアセンター主任研究員、総合デザインコース講師。専門は近代文学、記号論、メディア論。高校・大学の教員を経て2009年より現職。著書に『思考のための文章読本』(ちくま新書)、『日本語表現のレッスン』(教育出版)、『嫌老社会 老いを拒絶する時代』(ソフトバンク新書)など。