クリエイティブ・カフェ vol.5
戸田一雄「一流商品とは?──ものづくりの文化学」レビュー
長沼行太郎
「もの」が輝いていた時代があった。
アメリカ商品をモデルに出発した戦後日本のデザインは、東京オリンピック(1964年)の頃から、自立への道、 “Made in Japan”や“日本のかたち”を意識する方向を模索し始めた。
このオリンピックの年に松下電器に入社し、仲間とともにわずか10年で「Technics」を世界一の音響ブランドに育てあげた、「ものづくり屋」である戸田一雄さんに、体験と事例を通して、技術・デザイン・文化について語っていただく──こんな意図から企画されたカフェに、戸田さんは、充実したスライドを用意し、自分史とも重ねながら、戦後日本のものづくりの輝かしい一時期について、また日本文化の伝統と将来について、語ってくださった。
もちろん、ものづくりの戦後史は、明るい話にとどまるものではなく、1980年代後半以降のバブルに向かう時代、商品開発やデザインの世界にもある変質が起きてくる。そしていまも、消費社会は「物欲消滅」「若者の嫌消費」などと言われ、市場にも元気がない……。こうした話題についても、ものづくりの視点から言及された。
フリートークでも戸田さんとフロアとのあいだで有意義な応答が行なわれた。たとえば、工業製品と芸術作品というと、私たちはふたつを両極的あるいは背反的にとらえがちだ。工業製品を「経済」に、芸術作品を「文化」のカテゴリーに入れて、対立させる図式だ。今回のカフェは、こうした単純な「二分法」の図式を超えるところにまで話が及んだ。
ご自身の履歴を紹介しながら、「ものづくり」の世界に入るきっかけとして最初に語られたのは、意外なことに失敗の体験だった。40年以上前のこと、1966年に松下電器で体験したエピソードである。その頃、ステレオの趣向はアンサンブル型からセパレート型に急激な変遷をした。松下電器はその対応が遅れ、大量の旧タイプの商品をかかえてしまった。
「松下はその直前、和風のネーミングをつけたアンサンブルタイプの大ヒット商品を出しておりました。そのために、工場も生産工程をそれ用に変えたばかりで、古いタイプの商品はどんどん作れるのですが、新しいセパレートタイプについてはまったく手当てがありませんでした。それで事業部はまったくの棒立ちになってしまったわけです。
そのような例はいまでもよく見られます。フロッピーディスクの時代からCD-ROMの時代へ、ブラウン管TVの時代から薄型TVの時代へ、など、時代の急変が生んだ数々の教訓が教訓にならずに次の失敗を生んでいく……これがものづくりの歴史です」。

思い出す人もいるかもしれないが、松下電器は、東京オリンピックの開かれた1964年、超音響ステレオ「飛鳥」という、和名、家具調のアンサンブルタイプのステレオを発売して、好評を博している。この成功体験があったために、時代の急激な変化を読めなかったという。人口集中で若者が東京にあふれ、JUN、VANなどのブランドとともに若者文化が台頭し始めた時代である。
戸田さんはこのとき、売れなくなったアンサンブルタイプのステレオを売りさばくことを命じられ、苦労の末、ある販売会社の社長さんの助けを得てそれをやりとげるのだが、「市場の声に素直に耳を傾けないとどんなに恐ろしいことになるか。これが会社に入って2年目に私が経験し理解した事実です」とこのときの体験について語っている。その後、戸田さんは商品の企画提案を行なうようになり、それが、やがて商品企画の仕事につくきっかけになる。

戸田さんは「ヒット商品」と「一流商品」との違いを説明するなかで、「メーカーにとっての一流商品とは『信頼性』『安定性』があること、そしてこれは大事なことですが、『商品にたいするこだわり感=自己主張』があること。これを通じて、お客さんに問いかける何かをもっているということが大事でしょう」と語っている。一流商品を「こだわり」といった、やや古風な、職人気質のことばで特徴づけることに興味を引かれる。
戸田さんのものづくりの核になっているこの「こだわり」の姿勢は、一流商品をみずからも参画してつくり出した話へとつながっていく。世界一のステレオ・ブランド「Technics」の創出である。このときのエピソードが今回のひとつの山場だった。
「入社して6年目でしょうか、『Technics』という新しいブランドの立ち上げに参画しました。……ブランドのスローガンは『Quality & Originality』。これだけはとにかく大事にしよう、世界の一流品をやっていこう、と。当時、われわれのこの業界での占有率は、国内向けのNationalブランドと、輸出向けに使っていたパナソニック・ブランド、それらを合わせても0.8から1パーセント、そんなところでした。
とにもかくにも、いいものづくりの音響メーカーになるために、優れた技術者たちが集められ特別なチームがつくられました。私が商品企画に移ったのはこのときです。以来、同質商品で価格競争をすることだけはせず、技術屋のこだわりを大事に、妥協はしないということでやってきました。このことはきわめて大事なことだといまでも思っております。
スタートにあたっては、一流商品を目指して、本当にたくさんの著名な音響評論家の先生方、あるいは音楽雑誌、音響専門雑誌の皆さん、広告宣伝を作っていただいたデザイナーやカメラマン、それからもちろんオーディオ専門の販売店の方々から親身のご協力をいただきました」。
その結果、
「従来の商品と比べてずっと設計者の思い入れの強い、主張のある商品を作りだしていきました。もう昼休みも何も、明けても暮れても世界の優れた音響製品の話か、あるいは高級カメラの話ばっかりをしていたことを思い出します。そして、1973年にスタートしたこのブランドは、10年後の1983年に、高級オーディオの分野でシェアが世界ナンバーワンになったのです」。

さまざまな「市場の声」を聞いてつくりあげた「思い入れの強い、主張のある商品」が、日本経済の絶頂期を代表する商品のひとつとなった。
「ちょうどこの時期、1980年代前半ぐらいまでは、音響製品のみならず日本の工業製品全般が世界中でいちばん輝いた時期だと思います」と、戸田さんは言う。SONYのウォークマン(1979年発売)を携帯した若者たちがアウトドアオーディオを楽しむようになり、エズラ・ヴォーゲルの著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)が米・日で発売されベストセラーになったのもこの時代だ。
戸田さんは日本製品の強さを、科学・技術の力と文化の力とがうまく融合し、ともに良さを生かしあったところにあると説明する。
「オリンピックの競技で使う砲丸がありますね。これは日本でないとできないんです。重心が本当のセンターにピシッと入っている砲丸は日本でしかできない」
「ワイングラス。日本向けのワイングラスのクオリティは、アメリカ向けの輸出品と比べると、良品選定基準がまったく違い、泡がひとつもない」
など、引きあいに出される事例はどれもそれじたい面白い話だが、この背景に日本文化、日本人の美意識があることをスライドを通して説明されると、「もの」の話が「文化」の話へ、ぐんと視界がひろがる思いがする。とりわけ、江戸の文化・社会への着目は、今後の日本の社会モデルや文化のありかたを考えるうえで示唆するところが多かったように思う。

ところが、その後の1990年代以降のものづくりについては、戸田さんは危機感を表明している。
「だんだんと他国の商品づくりが育っていき、日本の競争力は相対的に落ちていきます。それをなんとかしないといけないという危機感から日本が向かった方向が合理化で、いわゆるアメリカ流の経営に学べということばも出てきた。これは多少の偏見かもしれませんが、1990年前後から日本の商品は合理化志向に入っていってしまったと思います」。
コスト至上主義、市場至上主義、数値至上主義、横並び安全主義によって、性能、機能、デザインのバランスが崩れ出す。そのため、「技術屋が一生懸命こだわりをもって、これは絶対に面白いからやりたいと主張しても、企業の100円のコストダウンのために飛んでしまうケースがある」。
が、日本文化のコアをとりだすなかから、戸田さんは、「こだわりのあるものづくり」「感性あふれた創造」への希望を見ていこうとする。この点については、当ホームページの連載記事「文化力が日本を救う」を参照されたい。
昨今、マーケットの萎縮とともに話題になる「物欲消滅」などという点についても、「人間から物欲が消滅することは絶対にない。たまたま、いまのわれわれの物欲にかなうものが生まれていないだけで、これはものをつくる側の責任だ」と、「ものづくり屋」の見識からきっぱりと言い切っている。

フリートークでは、ものづくりの現場で切実な、営業重視と技術重視、デザインと技術、ソフトとハードの関係をめぐる難問が多く出された。
そして、活発なフリートークのなかで段々と明らかになったことは、「ものばなれ」「ソフト化」「情報化」の時代と言われるけれども、これは、「ものづくりの時代からソフトづくりの時代へ」みたいな単純な話ではなさそうだ、ということだった。
「こだわり」「思い入れ」ということばで戸田さんは言われたけれども、ものづくりの技術は、そもそも背景に文化をもっている。ユーザーの側もそのことに共感や反発を感じながら使っている。ものを消費するということはそのもののイメージを消費することでもある。そうすると、ものと文化とは、そう簡単には二分できない、むしろ一体のものと考えたほうがよさそうだ。
ところが、ものづくりとその販売を担っている人々は別の専門や部門に属しているからしばしば対立も起きる。一流の商品とはこの対立を乗りこえたところに成立するものなのだろう。
こうした微妙な問題について、フリートークの最後の場面で交わされた対話を引かせていただく。
○戸田 「ソフトとハードとどちらが大事か、日本はソフトにシフトすべきか、という問題があるかもしれません。1990年代、ソフトが大事だと言われた時期があるんですが、結果的には、それはうまくいかなかった。やっぱりハードも大事なんですよ。国全体として分担協力しながらやっていきませんとね。
ハードなしにソフトで生きていくという、その極端な例をあげると、アイスランドだと思うんです。アイスランドという国は、金融工学にバーッと走ったわけですね。IT化では世界で4番目になった。しかし、バブルがはじけてしまうと、国はもう崩壊ですよね。……日本人はコスト競争に負ければやることがなくなると考える人も多いと思うのですが、そうじゃない、このハードの部分を磨きあげて生きていくやり方はまだまだ大事だという、そんなことを今日は特に強調したかったのです」。

○会場 「文化とか気配りとかもてなしとかいうのも、広い文脈ではソフトだと思うんですね。『Technics』の消費者も、ソフトがいいというか、周りにあるいろんな設計思想とかサービスがいいので買おうかなってことがある。今日のお話にあったように、文化とか日本の伝統といったソフトに裏打ちされているから、ハードが、つまりできあがった製品が輝いているという面もある……」
この発言をされた方は、続けて、これからの日本のものづくりについて、「ソフトとハード」「文化ともの」と分けて考えるのは「二分法すぎるかもしれない」、文化とものを一体のものと考えて生かす方法があれば、「もっと日本のものは輝いていくのではないか」と希望を述べた。
この点は十分に理解できたわけではないのだけれど、たしかに、ソフトとハード、デザインと技術、芸術作品と工業製品という、よく言われる二分法も、実際の「もの」を目の前にしてみれば、必ずしも自明ではなく、相対的な線引きしかできそうにない。たとえば「アートな電化製品」があってもおかしくはないし、実際にそういう作品でもあり製品でもあるような「もの」が、賞をとり、売られ、使われている例はいくらもある。ライフスタイルの変化がそうした「もの」を求めるようになったということもあるかもしれない。
ものづくりの危機の時代を経て、「再びものが輝くとき」がどのように可能になるのか、つくる側と使う側がともに考える示唆的なフリートークとなった。

2009年9月18日