クリエイティブ・カフェ vol.6
西田敬一「サーカスという生き方──国際サーカス村の人々、その生活とアート」レビュー
西田敬一

カンボジア・サーカス学校、子どもたちと教師
サーカスの一つひとつの技のルーツを探れば、紀元前2000年以上も前のエジプトの壁画や、紀元前数百年頃の中国の石刻などに、アクロバットやジャグリング(お手玉のように、さまざまな道具を操る技)の技を見ることができる。あるいは、綱渡りなどは、古代の人々の谷から谷へと渡る技術であったものが、祭りにおいて神にささげる催事として発展してきた。
その時々の権力が、身体技を含む歌舞音曲を、自分たちが楽しむだけではなく、民衆を支配するために、祭りなどで利用してきたのはいうまでもない。そしてある権力が崩壊すれば、それらに従事していた者たち、いわゆる芸能者たちは殺されたり、新たな権力者に仕えるか、さもなくば逃亡した。芸能の民が放浪者となったルーツはそのあたりにあるといえる。
1770年、イギリスの退役軍人フィリップ・アストレーがロンドンで始めたショーは、曲馬をはじめ人間業、そして道化師(クラウン)が登場するもので、この合体公演が、いわゆる近代サーカスの始まりといわれているが、その背景には、産業革命によって多くの人々がロンドンという大都市にあつまり、その彼らの遊興を求めるニーズに、このショーが応えるものであったということがある。いいかえれば、産業という新たな権力構造が、近代サーカスを誕生させたといえるだろう。
この大衆を満足させる娯楽として、サーカスは、アメリカのリングリング・サーカスに至る巨大サーカスとして発展していく。一方、ロシア革命によって、あらたな権力となった共産・社会主義国では、サーカスを自国の文化・芸術としてとらえ直すことで、大衆娯楽として発展している西側諸国のサーカスに対抗しようとした。このふたつの陣営が、サーカスという文化に注目していたのは、サーカスが分かりやすく、人々を熱狂させる要素を十分にもっていたからである。
西側諸国のサーカスが衰退するのは、第二次世界大戦以降、大衆娯楽が多様化したことが最も大きな要因といえる。一方、共産・社会主義国での衰退は、この体制の崩壊を待つことになる。
だが、それでサーカスは衰退する一方だったかといえば、現代では新たな大衆娯楽、エンターテインメントとして復活している。その発端は、1968年、フランス・パリで火をふいた体制批判、異議申し立ての、学生、知識人たちによる運動に求められる。劇場の否定、テントというそこもまた観客を囲いこむ空間であることなどを否定して、街頭へ、外の世界へと、芸術を解放しようとした、さまざまな試み。
そうしたムーブメントがすぐに成果を生み出したわけではないが、1978年、フランスの文化相ジャック・ラングが「サーカスとはそれ自体でひとつの完璧なアートである」と発言し、文化省が強力に後押ししはじめたことへとつながっていく。それは、文化・芸術を国の資産としてとらえ直すという、先進国共通の意識のさきがけで、日本もかなり遅れて、文化芸術国家として日本の将来像を描く試みがなされている。
こうした流れのなかで、フランスには、ヌゥーボー・シルクという、いわば個々人が自分たちの考えを、サーカス技を中心としたからだで表現するという、新しい身体芸術を作りだした。この流れは、北欧をはじめとして、西側諸国では相当の成果を得ているといえるのではないか。日本ではまだその芽さえ、ほとんど見られないのだが。
現在のような巨大エンターテインメントに成長したシルク・ドゥ・ソレイユは、そもそもは個人の集団によるショーを作っていたが、その成功が、さらに大衆受けする作品を作る方向へと流れ、現在に至っているといえる。世界のさまざまな都市でいくつもの公演を行なっているこのカンパニーの姿が、アメリカの国内を2つのテントを持って巡業している、かつて巨象にたとえられたリングリング・サーカスと二重写しになって見えるのも、両者とも大衆娯楽の巨人だからかもしれない。
シルク・ドゥ・ソレイユは、国、自治体、NPO法人などを巻き込み、いまや、モントリオール郊外に、芸術都市を作り出しているが、半世紀後、一世紀後になってみなければ、その試みの正否はわからないのではないか。
一方、ロシアなどは、サーカスは半官半民の組織になっていて、多くのアーティストが海外で活動するようになっている。この話しは長くなるので、ここで、割愛したい。

ゲストの西田敬一さん

ベルギーのCie Feria Musica公演を紹介

スウェーデンのCirkus Cirkör、日本公演ちらし
PPS(Phare Ponleu Selpak)というのは、カンボジアの教育・文化芸術活動を行なっているNGO組織である。このPPSが、子供たちを育てるためにサーカスのクラスを作ったのは、1998年とのことである。絵画や音楽には集中できない子どもたちに、集中できる身体のクラスとしてサーカスを選んだとのことだが、その背景には、PPSに参加しているボランティアの多くがフランス人、それもクラウンやサーカス・アーティストたちであるということとも関連している。
ここを訪ねて感じたのは、サーカスがプロのものだけではなく、子どもや若い人々にとっては、“遊び”であったり、からだ作りであることだ。たとえばマット運動、空中回転、あるいはジャグリングやバランス芸ができるようになることは、頭に知識や思考力が培われるように、身体に、からだを使う能力や技術が育つということなのだ。そうしたことを、サーカス技を覚えようとする過程で身につけていく。そこに、人としての自信が育ってゆく。しかもからだというものは、どんなことができるか一目瞭然なので、ウソをつけない。頭であれば、ウソの付き放題というわけではないが、からだはそうはいかないのだ。
このカンボジアのサーカスクラスはすでに海外にでて、さまざまな公演を行なっている。ぼくもまた、彼らのエネルギーに溢れたからだ、そして笑顔を絶やすことのない、それがコミュニケーションのひとつでもある生活態度を日本の人々に味わってほしいと考え、日本ツアーを企画してきた。さらに、ぼくらが運営する沢入国際サーカス学校の生徒を、このPPSの国際サーカスフェスティバルに送りこみ、交流を続けている。
このような交流から、どのようなものが生まれてくるか、まだつかみきれないでいるが、こうした活動を通して、サーカス学校の生徒が個々人としての生き方を作りだしていって欲しいと願っている。そもそも、芸術、文化に携わる人々は、組織の一部として仕事をする人々ではないはずである。もちろん、集団で創作する活動であれば、そこでは共同でものを考え、それぞれの立場を尊重し、共同であるからこそ表現できるものを作りだしていかなければならないのだが。個人と集団の関係を、サーカスを学ぶことでつかむことができれば、それもまた、サーカスの持つ力なのかもしれない。

カンボジアサーカス学校、練習風景

同公演

同公演を観る子どもたち
サーカス学校を開校して8年が過ぎた。卒業生、在校生、途中で辞めた生徒を含めて、約50名ほどの若者たちが、サーカス技やジャグリングを習得するために練習する姿を見てきた。学校ではまず、基本となる、動かせるからだ、倒立や回転技ができるからだをつくるために、マット運動、倒立、柔軟など、ウクライナから来ていただいている先生の厳しい指導のもとに、日々の訓練を行なっている。
ぼく自身、驚きだったのは、サーカス学校に来る生徒の多くが、中学、高校で、体操らしい体操をほとんどやっていないので、逆立ちはもちろんのこと、腕立て、懸垂など、まるでできないのに、入学してくることである。
サーカス技を身につけるには、他のスポーツ同様、かなりのハードトレーニングが必要だという認識をもたずにやってくる。そこには、身体というものに対する若者の意識の欠如というか、無知が隠されているといえるが、それは単に若者の意識の問題である以上に、日本という社会が行なっている教育に問題があるように思われる。ある言い方をすれば、教育が、身体というものをまったく学習させていないのである。身体の学習の基本は、からだを動かすことだが、それが充分に行なわれていないので、からだは未開発のまま、人は育っている。頭だけで生きているといってもいい。
その未開発のままのからだで、サーカス学校にやってきた若者たちは、日々の訓練で、汗をかくからだ、練習のあと筋肉痛になるからだ、そしてベッドに倒れこんで寝てしまうからだと、さまざまなからだに出会い、そのからだがそれらを克服して、それまでにはまったくできなかった、回転技や柔軟、逆立ち走ができるまでになっていくことに気がついてゆく。そして、フラフープ、空中ロープなどのサーカス技が徐々に身についてくる。
すると、入学当時、満足に会話ができなかった者、いつもにこっと笑うだけだった者が、自分の意見をいい、公演のために先方と交渉することさえできるようになる。
未開発だったからだが、練習、技の習得で開発され、そのようなからだを獲得したがゆえに、それまでに他者との交流に充分に機能していなかった“頭”、そこに内蔵されていたコトバが活用できるようになっていく。そのように思われるのである。
サーカス学校を始めたのは、いうまでもなく、サーカス・アーティストを育てることなのだが、まさか、現代社会の身体の問題に出会うとは想像さえしなかった。教育の場が身体に注目し、そこに内蔵されている機能を開発しなければならない。それは、プロのスポーツ選手を育てることとは異なるはずだ。

大道芸をするサーカス学校の生徒たち

サーカス学校発表会

サーカス学校発表会
国際サーカス村協会
http://www.circus-mura.net/
写真提供=西田敬一
ただし、文化学院におけるカフェの様子は上田和秀による(2点)
クリエイティブ・カフェ vol.6
西田敬一「サーカスという生き方──国際サーカス村の人々、その生活とアート」
2009年10月16日