アーティストで東京藝術大学大学院映像研究科教授の藤幡正樹氏をお招きし、近作の展示・紹介と共に、現在のメディア環境と表現や感覚をめぐって、多角的に語っていただきます。
| 講演 | 藤幡正樹(アーティスト、東京藝術大学大学院映像研究科教授) |
|---|---|
| テーマ | ひみつの部屋、あるいはテレビ──メディアと表現をめぐって |
| 日時 | 2009年11月20日(金) 19:00~21:00 |
| 費用 | ワンコイン(500円) コーヒー・お菓子・資料代として |
| 場所 | 文化学院・2階マルチスペース |
| 主催 | 文化学院 クリエイティブ・メディアセンター |
| 協力 | 乾義和(ボストーク)、東京藝術大学大学院映像研究科 |
| 内容 | 藤幡正樹氏の作品「電気椅子、あるいはテレビ」そしてその最新ヴァージョン「ひみつの部屋、あるいはテレビ」は、オブジェ(家や家具)としてのディスプレイが、かつて"on air"されたテレビ番組を単色の光の明滅と音で再生するという作品です。 藤幡氏は作品やさまざまなプロジェクトを通じて、メディア(技術)と社会や人間の同時代的な関係性を探りながら、知覚や表現の本質を問い続けています。 本レクチャーでは、特にテレビというメディアの特質や歴史そして現在の状況などを参照点としながら、「記憶」「身体」「映像」「時間」といったテーマにアプローチします。 なお作品「ひみつの部屋、あるいはテレビ」が講演会場で展示(11/20~12/3)されますので、未見の方も会場にお越しいただければ実作品の鑑賞とアーティスト・トークが同時に体験できます。 |
| 作家 | 藤幡正樹 |
|---|---|
| 作品 | 「ひみつの部屋、あるいはテレビ」"Private Room or TV" |
| 展示 | 2009年11月20日(金)~12月3日(木) 9:00~19:00 |
| 場所 | 文化学院・2階マルチスペース 入場無料 |
| 主催 | 文化学院 クリエイティブ・メディアセンター |
| 協力 | 乾義和(ボストーク)、東京藝術大学大学院映像研究科 |

藤幡正樹「ひみつの部屋、あるいはテレビ」"Private Room or TV"、2009年
※藤幡正樹氏の本作品「ひみつの部屋、あるいはテレビ」は、「電気椅子、あるいはテレビ」の最新ヴァージョンです。
オリンピックに沸いている隣国を見ていたら、64年当時小学生だった自分が、毎晩ブラウン管に映し出される白黒の映像に熱狂していたことを思い出した。7時半には床に着かなくてはならない約束なのに、特別に許されて遅くまでオリンピックの選手たちを応援した。これを見なかったら、明日学校では仲間はずれにされてしまうからだ。この時は、先生までもが寝不足だったことを憶えている。
これはおそらく、63年11月のケネディー暗殺からはじまり、69年7月の月面着陸あたりまで、テレビネットワークの生放送を通して、世界中が同時に体験していた出来事であり、自分はその端末に座っていたのである、アームストロング船長の月面着陸は、親の勤め先のカラーテレビで集まった大勢の観客といっしょに見た。誰もが興奮していたし、誰もが感動していた。特に、当時天文少年だった僕は椅子の座面から少しばかり、浮き上がっていたように記憶している。誰もがもう椅子から、立ち上がりかけていたのだ。
大勢にまぎれて暗闇で秘かに見る映画と違って、テレビには背徳的な感覚がない。テレビ体験というのは、明るい場所で、家族や知り合いと、そして見えない別の場所でテレビを見ているであろう学校の友人や、もっと遠い知らない人たちと同じ時間を共有するという体験を人類に持ち込んだメディアなのである。その場合、そこに何が映っているかはそれほど重要ではないのかもしれない。今、起こっている出来事をこうやって共有している自分に興奮していたのかもしれない。
今、テレビは自分自身でアナログからデジタルに変化しようとしている。それは多チャンネル化とデータベース化によってパーソナルなメディアの一端へと変化しようとしている。もはや、かつての黄金時代のような同時性を排除する方向に向かっていて、世界人類の共通体験を作り出すようなメディアではないのだ。
僕は、なぜか悲しい。60年代、70年代のともだちや家族の背後には、いつもテレビが秘かなネットワークを作っていたことに、今頃になって気づくのだ。帰り道に夕暮れの街を歩くと、お茶の間の中心に青く光るテレビがあって、そこに家族がいっしょにご飯を食べている風景が普通に見えたものだ。あの風景は、あの家族はいったいどこにいってしまったのか。帰り道を見失った自分が、呆然と電灯の下で立ち尽くしているのが見える。
藤幡正樹