本田英郎
私たちは、「“much more(to come)”という楽観主義と、“no more”という悲観主義のあいだ」(浅田彰「An Extra-Context」、1999年『Anymore』カンファレンス[パリ]より)で揺れ動いている。「より多く、より速く」に対して、すべてをリセットして「もういい“no more”」と言うとき、私の「いちぬーけた」が他者への「いちぬーけろ」に安易に接合されると、とりわけ暴力的になってしまう。「より多くをより少なく」「より速くをより遅く」という表現も妙だが、地球環境との接し方においては、そんな感覚を実践するに越したことはないだろう。
さて、居住空間における「より少なく」はどうだろう。できるだけ空調エネルギーを使わないですむように、住宅のなかに外の風を取り込む。少ない風しか取り込めなくても、室内を効率的に循環するように空間をデザインする。そこでは、自然にできることは自然に任せ、サイエンスとテクノロジーが根っこで支える、という関係が成り立っている。
国立にある「サステナブル デザイン ラボラトリー」を案内してもらった折、木村文雄さん(積水ハウス株式会社・総合住宅研究所)は、空間における「中間」性を強調されていた。中間地帯としての縁側が広くとってあり、空間を仕切る壁も、自在に動く。空間のみならず、子供用の机もベッドも、お風呂までもが移動可能である。子供が縁側に机を移動して宿題をしたり、おじいちゃんがみかんを頬張りながらそれとなく知恵を授けたり、その様子を母親がそれとなく見守ったり、といったことができるし、ひとりになりたいときは部屋に戻って自分の時間を過ごせるという、いわば集合と離散の自由=中間性がデザインされているのである。あるいはまた、経年とともに部屋を使う人間が歳をとる、空間に求める家族のニーズが変わる(こどもが思春期を迎える、介護も必要になる等々)といった状況に対応できるようにデザインされている。
中間が活かされたデザインであるということは、家の持ち主が変わり家族構成が変わっても、住みやすいはずである。スクラップ&ビルドではなく、汎用性に優れた住宅を長年にわたって維持・循環させることができれば、環境にかかる付加もより少なくなる。そうした住宅モデルの普遍化のために何が必要であるのか、「サステナブル デザイン ラボラトリー」を訪れて考えてみるのも愉しい。










2009年12月18日