| ゲスト | 三浦哲哉(みうら てつや) 1976年生まれ。映画論/東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。いわき明星大学非常勤講師、東京ビジュアルアーツ非常勤講師。 |
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| テーマ | ブレッソン 007 スタローン──無作為性について |
| 日時 | 2010年11月19日(金) 19:00~21:00 |
| 費用 | 500円(コーヒー・お菓子代として) |
| 場所 | 文化学院・2階マルチスペース |
| 主催 | 文化学院 クリエイティブ・メディアセンター |
映画はそのはじまりから、メディアとしての固有性を「無作為性」に置き、自らの価値として称揚してきた。人間の知性を介さない機械による、光景の自動的な転写。写真技術に根ざした描写の自動性こそが映画の美しさの根拠であるとされてきたのだ。
そのような立場を、映画史上もっとも徹底させた作り手のひとりがフランスの映画作家ロベール・ブレッソンだ。ブレッソンは演劇的な慣習をすべて排除したうえであらわれる自動的な身振りを機械の目で自動的に記録し、画面からあらゆる人間的意図の痕跡を放逐しようとした。その徹底性においてブレッソンの試みは他の追随を許さず、もっとも「純粋」でもっとも「映画的」であると称賛されてきた。「禁欲」によって「純化」し、映画の始源の美しさを蘇らせた作り手という評価がいまも固定されている。
ところで、そのブレッソンがじつはイギリスのスパイアクション映画『007』シリーズを熱烈に愛好していたというのだ。しかも「映画的に書かれている」というのがその理由である。一見、(良くも悪くも)不純の塊に思える『007』とブレッソンには、いかなる共通点があるのか。『007』からブレッソンを逆照射したときになにが見えてくるのか。その比較を通じて、映画の「純粋性」と「無作為性」について再考する。
さらにもうひとつ。最新の自作自演映画『エクスペンダブルズ』が公開されたばかりのシルヴェスター・スタローン。ゴールデン・ラズベリー特別賞「20世紀最低俳優賞」に輝き、大根俳優の代表的存在とも言われるスタローンと、ブレッソンの俳優たちがそのたたずまいにおいて似ているという指摘がある(丹生谷貴志『ドゥルーズ・映画・フーコー』)。この指摘を真剣に受け止め、両者の作品を比較考察することで、同じく「純粋性」と「無作為性」について考えるための別のアングルを模索する。